第十七話:『ポッペンはただいま旅行中』
「ケーキをつくろう」と言うよりも早く、プッピンの手はボウルとミキサーを 戸棚から引っぱり出していました。ミモザケーキをつくるのです。 黄金にきらめくふさふさの花がまだ見ぬ春の場所を思い出させるような香り のするミモザはグレープフルーツで。こまかくつぶつぶにほどいた果実を、 ふんわり焼いたスポンジケーキの上に花びらのように敷きつめようと思っただけで もうプッピンがうれしくてしかたがありません。「あっ、玉子がない!」プッピンが叫ぶと、「買ってこよう」とポッペンはもう 表に出ようとしていました。それというのもおそらく、ケーキの焼ける匂いが 大好きなポッペンは、そのくせミキサーのうなり声を聞くのを好まなかったせい なのでしょう。
表に出ると、驚いた小鳥たちがチチと鳴きながら、いい匂いを放っているプラ ムの木からいっせいに飛び立っていきました。「ああ、外は気持ちがいいなあ」
買い物籠をぶらぶらさせてポッペンが歩いていると、道ばたに玉子がひとつ落 ちています。大きな玉子です。
「ははあ、これはガチョウの玉子にちがいない」ポッペンは驚きながらも、いつ か化石博物館で見た、ニワトリの玉子の5倍はあるかと思われた白茶色の玉子を 思い出していました。
「それで、今から玉子を買いにいこうとした矢先に、こうして玉子が目の前に 現れたっていうことは」ポッペンは考えました。「これは誰かからの贈りものに ちがいない」
あんまり早くポッペンが帰ってきたのでプッピンはびっくりしました。
買い物籠にはしかも、見たこともないほど大きな玉子がひとつ、 ごろんと入っているではありませんか。
「『ぐりとぐら』の絵本みたいに、これで大きなケーキを焼くか」
二人は顔を見合わせて笑い合いました「ポッペン割ってみて」プッピンは澄まして いいます。ポッペンがおそるおそる割ろうとしましたが、玉子はびくともしません。 それで、両手で抱えて硬いテーブルの角で割ろうとするポッペン。その下で、 ボウルを受けるプッピン。けれどもやっぱり玉子は割れません。
プッピンは金づちを持ってきました。ポッペンは汗びっしょりになりました。 やはり結果は同じです。
「フウウ」玉子を抱えたままポッペンとプッピンはぺたりと地面に座り込んで しまいました。「私の考えではね、」プッピンはつぶやきます。
「それは玉子ではないのよ」
ともかく元あった場所に返してきましょうということになって、ポッペンが立ちあ がったそのとき、抱えていた玉子がぶるぶると震えだしたかと思うとピシリ!
ひとすじのひびが走りました。殻がまっぷたつに割れて、大きな鳥の子が飛び出し ました。
驚いて腰をぬかして、ものもいえないでいるポッペンとプッピンのまわりで、 奇妙な鳥の子はもうしっかりとした足取りで歩きまわっています。
「おなかがすいた、おなかがすいた!」
沈丁花のあまい、少しねむたくなるような香りがしたかと思うと ポッペンは目を醒ましました。台所の窓があいていて、木綿のカーテン がすこしみだれています。「風邪をひくよ」春といってもまだ風はつめたい、 ポッペンがあわてて窓を閉めにいくと、その音でプッピンも目を醒ましました。
「ああポッペン、変な夢をみちゃった。ポッペンが買ってきた玉子がとてつもなく 大きくてね、それを割ろうとしたらば中から鳥が生まれてきたの」
「それでお腹がすいた、お腹がすいた、といって走りまわるんでしょう?」
二人は顔を見合わせました。二人で同じ夢を見たんでしょうか? 一緒にいると そんなことが時おり起こるというけれど、でも…。
ハッと気がついたポッペン、あわてて冷蔵庫を開けました。
レタスやトマト、サンドイッチの残り、牛乳、バター、レンズ豆の煮たの、 アンズジャム、などなどがぎっしり詰まっていたはずの冷蔵庫は 見事にからっぽです。
「やっぱり!」さっきまでカ?テンがみだれていた窓をポッペンはにらみました。
「夢じゃなかったんだよプッピン」
ではあの鳥は、ポッペンとプッピンの冷蔵庫の中をからっぽにしたあの鳥は、 いったいどこへ行ったのか。あの鳥はいったい何だったのでしょうか。
「それよりもねポッペン…。なんか本当にこっちがお腹がすいてきたように思うの」
考えてみれば、ミモザケーキをつくろうと思ったのがはじまりで、それで今では ケーキもまだ焼けていないどころか冷蔵庫も空っぽになってしまったというわけです。
二人は買い物籠をぶらさげて一緒に買い物へ出かけました。
近所の白モクレンは満開だし、チューリップはこれから咲こうとして 葉っぱをぎっしり繁らせているし、ポッペンの好きなユキヤナギも芽吹いてきました。
本当にいい日和です。
「お腹がすいた! お腹がすいた!」そんな声で鳴いている鳥の声がふと聴こえたよ うな気がしたのですが、「お腹がすいた! あたしもお腹がすいた!」
こう負けずにやりかえしたプッピンの大きな声が、あたりをしんとさせました。
さあ、玉子やバターやお砂糖を並べた市場はもうすぐそこです。
(おしまい)